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チェンソーマンでは太陽や日曜日がない?太陽の悪魔が食べられたのか考察

公開日: 2022年10月27日 | 最終更新日: 2022年11月19日

 

チェンソーマンは、伏線や何らかの意味が込められた絵が描かれることの多い作品。

世界観も綿密に練られているため、ネット上では様々な考察がなされていますよね。

そんなチェンソーマンの数ある伏線の中で、話題になっている考察の1つに、太陽や日曜日が存在しないというものがあります。

今回は、この考察についてフォーカスしていきましょう↓↓

この記事を見て分かること
  • 太陽や日曜日が存在しないのかどうか
  • 日曜がないと言われる根拠の場面
  • 太陽がないと言われる根拠の場面
  • 太陽が日曜日が描かれないことの理由

 

 

太陽や日曜日がない?

 

この意見は根拠のないものではなく、作中での描写に不自然な点が多かったため、考察されるようになりました。

しかし、太陽や日曜日が存在しないということは、一体どういうことなのでしょうか?

ここからは、その真偽や根拠を交えながら考察していきます↓↓

 

作中では太陽や日曜日がない伏線がある

実は、作中では様々なシーンで「太陽や日曜日が描かれていない」という指摘があります。

 

 

また、太陽や日曜日が存在しないことを暗示するような描写も、いくつかありました。

ここでは、太陽と日曜日、それぞれが不自然に描かれていない場面や、存在しないことを暗示するような伏線がある場面をご紹介して、考察してみたいと思います!

では、まずは日曜日から詳しく見ていきましょう。

 

 

考察① 早川家の掃除当番表に日曜がない (71話)

まず最初に見るのは、単行本9巻第71話「お風呂」で描かれた掃除当番表です。

この掃除当番表に、日曜日の記載がないことが話題になりました。

こちら71話では、早川家の日常的な生活が描かれており、家の中の生活感あふれる場面が多いのが特徴的でしたよね。

 

そして、壁に貼られた掃除当番表には、月曜日から土曜日までの掃除当番が書かれています。

この当番表に日曜日がないことから、その概念が存在しないのでは、という考察がされるようになったのです。

 

考察② 日曜日から始まらないカレンダー (13話)

 

もう1つ、日曜日が存在しない理由として挙げられる場面が、単行本2巻第13話「銃の悪魔」にありました。

それは、銃の悪魔が現れたことを放送するテレビの場面です。

テレビの横の壁に下がっているカレンダーが、月曜日から始まっていることで、日曜日がないのではないか、と考察されているのです。

カレンダーの大半は日曜日から始まるため、このように月曜日から始まることが注目されたのですね。

 

 

考察③ デンジの日曜日を知っているセリフ (70話)

 

考察①と②は、日曜日という概念が存在しないという考察の根拠となっている場面でした。

しかし、実はそれとは逆に、日曜日が存在するという意見も交わされています。

その意見が根拠としているのは、単行本8巻第70話「摘む」に登場する、デンジのセリフなのです。

敵であるサンタクロースが、人形を操っていつでもデンジを殺しに行くと脅してくるのに対し、「来んなら平日にしてくれよな〜日曜は仕事が休みだからよお」とデンジは返しました。

このことから、明らかに日曜日は存在すると言えるでしょう!

 

日曜日の概念はあると考察

日曜日という概念がないという考察や、それとは逆にあるという考察がなされていますが、この記事では、日曜日はあるという考えを支持いたします!

考察①で見た掃除当番の表は、単純に日曜日は「掃除をしない休日」だった可能性もあります。

そして、考察②で見た日曜日のないカレンダーですが、これも月曜日始まりのカレンダーであるため、日曜日がないように見えるだけでしょう。

実際、数字を数えてみると、1週間の日数は7日間となっていました。

 

そしてやはり決定的なのは、デンジが日曜日の存在を認識していることでしょう。

これらのことから、日曜日の概念はあると考えます!

 

考察④ 太陽ではない水平線の光 (51話)

 

では次に、太陽がないと考察される理由を探ってみましょう。

根拠として言われている場面があるのは、単行本6巻第51話「ダークダイビング」です。

レゼとの戦いが終わって、夜から朝に場面が切り替わり、日の出と思われる光が水平線の向こうに現れるのが描かれているのです。

ですが、この絵はよく見ると、太陽らしき球体は描かれておらず、光が集まっているような変わった描かれ方がされていました。

その数ページ前では、月はしっかりと満月で描かれていたのに対し、水平線に描かれたのは、小さな光の集合体のような絵だったのです。

これは偶然なのか、それともあえて太陽ではない光を描いたのでしょうか。

 

考察⑤ アキの弟の名前がタイヨウ (13話)

 

チェンソーマンでは太陽が描かれることはありません。

ですが、他の漫画でも太陽が描かれないことはありますので、「描かれていない」という事実だけでは、太陽が存在しないとは考えにくいですよね。

 

しかし、考察④で見たような太陽には見えないような光の描き方に加え、太陽が存在しないことを暗示するような描写があります。

それが、アキの弟タイヨウというキャラクターにあるのです。

そう、アキの弟は「太陽」と同じ名前。

このタイヨウは幼い頃から病弱で、アキからは元気な時がないとされるほどでした。

 

また、アキの目の前で銃の悪魔に殺されたことも印象的でしたよね。

このタイヨウの人生が、太陽という存在が消えてしまったことを暗示していると考えられているのです。

キャラクターの名前に意味を持たせることが多い藤本タツキ先生だからこそ、こうした考察が可能なのでしょう。

 

考察⑥ コウモリの悪魔とヒルの悪魔の関係

もう1つ、コウモリの悪魔とヒルの悪魔の関係性が、太陽がないことを暗示しているのではないか、という考察があります。

単行本3巻に登場したコウモリの悪魔ですが、コウモリといえば、夜に活発に動く印象が強く、夜の世界の住人というイメージがありますよね。

それに対しヒルの悪魔は、名前通りに解釈すると「昼」を指す存在だと思われます。

夜の代名詞であるコウモリ、そして昼の名前を冠するヒル。

夜行性の動物が日中に活動している意味を考えると、必然的に「太陽」に関係してきます。

(もちろん昼間に飛んでいるコウモリもいます)

 

その両者が恋人関係にあるということが、太陽という存在が消えてしまったことの隠喩ではないかと考えられるのです。

つまり、決して一緒に存在できないはずの夜と昼が結びつくのは、夜の闇を照らす太陽がないからなのです。

 

考察⑦ アサ・ヒル・ユウコ・ヨルなど朝昼夕晩のキャラ

太陽が存在しないという考察は、チェンソーマン第1部が完結し、2022年7月から第2部の連載が開始されてから、さらに現実味を帯びたものとして考えられるようになりました。

というのも、第2部では、アサユウコという少女に加え、ヨルと呼ばれる悪魔が登場したからです。

ヒルの悪魔に加えて、アサ、ユウコ、ヨルというキャラが出てきたことで、朝昼夕晩を意味する名前が作中で勢揃いしたことになりますよね。

 

さらにヨルは、アサの体を半分乗っ取っている戦争の悪魔であり、アサ第2部の主人公

このような重要なキャラの名前に、意味がないとは思えません。

アサとヨルは同じ体に2つの意識がある状態

これは、コウモリの悪魔とヒルの悪魔以上に、太陽の光で満たされた朝と太陽の光が届かない夜が密接につながった状態を表していると言えるでしょう。

 

朝と夜が一体化するということは、太陽がある以上あり得ないこと。

その一体化がなされたということは、やはり太陽がないということを指しているのではないでしょうか。

 

太陽やお日様のような概念はないと考察

 

ここまで、太陽という存在がないと考えられる理由について見てきました。

この記事では、ネット上で言われているように太陽やお日様の概念は存在しないと考えます!

ここで挙げた要因に加え、まだ単行本化されていない第105話では、日が沈む夕方の時間帯の描写で、不自然に太陽が描かれませんでした。

物語が進むほど、太陽という存在がないことを表すような表現が増えてくるのは、偶然ではないのではないでしょうか。

 

 

太陽の悪魔が食べられたのか?

 

あるはずの存在がない、ということが表すのは、その名前を冠する悪魔がチェンソーマンに食べられたということですよね。

太陽が存在しないということは、太陽の悪魔が食べられて消えてしまったということなのでしょうか?

 

マキマの発言「とある星の光」は太陽? (84話)

チェンソーマンの特殊な能力について、初めて物語の中で明らかになったのは、単行本10巻第84話「地獄のヒーロー」でした。

マキマが岸辺に、チェンソーマンの能力を話す場面ですね。

ここでは、ナチスや第二次世界大戦などの名前を持つ悪魔が、チェンソーマンに食べられたことで、存在が消えてしまったことが明らかにされました。

この時、マキマのが語った消えてしまった者たちの中には、名前が明らかになっていないものもあります。

 

そのうちの1つが、とある星の光と言われるものなのです。

マキマは、「子供の精神を壊すとある星の光」は、食べられて消えてしまったというのです。

この言葉だけ聞いても、全く何のことか分かりませんよね。

ですが、太陽という存在が消えてしまったと考えると、この台詞も意味深に聞こえてきます。

「星の光」というのは太陽のことだったのではないでしょうか?

 

太陽が描かれないのは人々から忘れ去られているから

しかし、ここで「太陽が存在しないなら、なぜ作中で昼と夜の描写があるのか」と疑問に思う方もいらっしゃると思います。

もちろん当然の疑問ですが、これは存在そのものが全て消えてしまったということではなく、人々の記憶から消えてしまったことを表しているのではないでしょうか?

マキマは、チェンソーマンに食べられた悪魔は、「名前の存在が消えてしまう」と言っていました。

そして、その名前を持つ存在は人々から忘れ去られるのだと。

 

つまり、太陽という名前を持った存在は消えてしまって、人々から忘れ去られてしまいましたが、地球に光をもたらす存在自体は変わらずにあるのではないでしょうか。

それを表すため、昼や朝が来ている描写はされているにもかかわらず、太陽という光の球体は全く描かれていないのではと考えられます。

 

太陽の悪魔をチェンソーマンが食べたと考察

ここまでくれば、作中で太陽が存在しない理由は明らかですね!

太陽の悪魔が、チェンソーマンに食べられたからだと考えられます。

なぜ太陽の悪魔が食べられてしまったのかなど、詳細なことは一切わかりません。

作中ではまだ太陽の存在について、確定的なことは一切明らかにされていないので、ここで紹介した考察もあくまで推論の域を出ないものばかりです。

 

ですが、太陽の存在が何かしらの意味を持って描かれているのは確かではないでしょうか。

そして太陽が描かれないことに意味があるのだとすれば、それはやはり、チェンソーマンの存在に関わる可能性は高いと思われます。

 

【チェンソーマン】日曜日と太陽の考察まとめ

 

まとめ
  • デンジが日曜日を知っているため、日曜日は存在する
  • 日の出などのシーンでも、太陽は描かれない
  • 太陽が存在しないことを暗示するような描写や、キャラの名前・関係性が多い
  • チェンソーマンに食べられた「とある星の光」が太陽を指すのではないか
  • 太陽は、太陽の悪魔が食べられてしまったため、存在が人々から忘れ去られた

 

以上、日曜日と太陽についての考察でした!

第2部もアニメも話題沸騰中のチェンソーマン。

特に、アニメでは太陽がどのように描かれているのか、原作と違いはあるのか、ということに着目しながら見るのも面白そうですね!

この記事が、チェンソーマンを楽しむ糧になれば幸いです^ ^

 

 

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