逃げ上手の若君-弧次郎のモデルは根津小次郎?元ネタや史実を解説

公開日: 2023年12月20日 | 最終更新日: 2026年11月5日

 

【逃げ上手の若君】は松井優征による、南北朝時代をテーマにした歴史漫画です。

主人公は、足利尊氏によって天下を追われ、親兄弟を殺された悲劇の少年・北条時行。その時行には頼もしい仲間がいました。

今回はその時行の郎党(仲間)のひとり、祢津弧次郎について解説していきます!

この記事を読んでわかること
  • 弧次郎の「モデル」について考察
  • 祢津弧次郎の「人物像」
  • 「元ネタ」や「史実」について

 

 

弧次郎のモデルは根津小次郎?

 

祢津弧次郎は、鎌倉から信濃まで落ち延びた時行が諏訪頼重によって与えられた郎党のひとりです。

時行の郎党は長いこと、松井先生のオリジナルキャラクターだと思われていましたが、吹雪=高師冬というどんでん返しもあったことから、「弧次郎もまたモデルとなるキャラクターがいるのではないか?」とする意見も増えました。

では、弧次郎のモデルとは誰なのか?

以下、解説していきます!

 

弧次郎のモデルや元ネタは不明

2023年12月現在、原作の作中で弧次郎のモデルや元ネタを想起するような記述はほとんどありません。

まず、弧次郎という名前が南北朝時代の史料のどこにも存在しません。

 

ただ、作中で弧次郎は「祢津小次郎」の影武者としての一生を義務付けられているということを念頭に置くと、弧次郎=小次郎と解釈することができますよね。

「祢津小次郎」は代々の祢津家の当主になる人間が名乗る由緒正しい名前であり、祢津家の歴史の中によく登場します。

南北朝時代にも太平記などで「祢津小次郎」の文字は確認することができ、「観応の擾乱(足利側の内ゲバ)」では足利直義に味方して戦い、のち足利義詮に仕えたとあります。

もしこの足利直義に味方した「小次郎」が弧次郎のことであるならば、時行と一体どんなやり取りを経て足利のもとに向かったのか?など、これからの展開予想の助けになるのではないでしょうか!

 

元は信濃の諏訪神党三大将「祢津頼直の一族」

そもそも、何故「弧次郎」が時行の郎党になったのか。

それは焼け落ちる鎌倉から時行を連れ出してかくまったのが、諏訪神社の当主・諏訪頼重だから、というのが最も大きいでしょう。

頼重は当代の「現人神」、つまり神そのものであり、地元の人間から絶大な信仰を集めていました。

諏訪の崇拝者の中でも、特に武力と組織力とで「諏訪の明神」に奉仕していたのが諏訪新党の三大将です。

三大将とは滋野(しげの)三家と呼ばれることもある、海野氏、望月氏、そして祢津氏(この時の当主は祢津頼直)のことです。

 

つまり頼重は最も信頼のおける部下の一族の中から、時行と同じ年ごろくらいで、時行を守る強さを持った少年少女を時行に紹介したのですね。

そのように、大人の都合で引き合わせられた弧次郎と時行ですが、一緒に過ごすうちお互いの力量に惹かれ、良い主従関係を築くことができました。

弧次郎のパラメーターの中の「忠義」の項目は95という高い数値をただき出しています!

なお同じ逃若党のゲンバは18。若を裏切らずにいてくれてありがとうゲンバ……(80だった吹雪を見ながら)

 

弧次郎なのは「孤児」だったから

弧次郎は当主である祢津頼直の妹の子供、つまり頼直にとっての実の甥にあたるわけですが……

それにしては、弧次郎は妙に頼直からきつく当たられています。弧次郎の、父親のせいで。

小次郎の父親は北条氏直属の家臣だったのですが、その権力をかさに着て、妻子のある身でありながら弧次郎の母親に強引に迫った挙句、弧次郎ができても何の責任も取らずに逃げおおせるようなクソ野郎だったのです。

ドクソ野郎のくせに権力だけは本物だったので、頼直からの訴えもお上にもみ消されてしまったとか。

 

そして弧次郎が産まれた際に母親が亡くなってしまったということが決定打となり、弧次郎は一族の中では疎まれる立場となってしまったのです。

弧次郎の字は孤独の「孤」ではありませんが、祢津家の中でも扱いに困る子、ということで孤次郎と名前をつけようとした誰かに対し、流石にそれはどうかと「弧」の字を当てたという経緯がある……

アニ木
アニ木
かもしれませんね。ね、頼直(ツンデレ伯父)さん!

※「孤」には「独りぼっちで助けのないこと」という意味がある

※一方の「弧」には「弓」という意味があって、武家の子が名乗るのにふさわしい響き

 

頼直の嫡男・小次郎の影武者

ツンデレ伯父さんこと祢津頼直が、ツンツンではなくツンデレと読者に呼ばれているのにも理由があります。

上記のように、一族で持て余されていた弧次郎に、体の弱い時期当主・小次郎の影武者を任せることによって、生きる意味を与えたのですね。

当主という立場から、弧次郎に対しては表立ってツンツンした態度をとることが多い頼直ですが、弧次郎は彼に心底感謝していて、恨み言ひとつ漏らしません。

弧次郎と「小次郎」も仲が良く、お互いの立場を思いやっている様子が見て取れます。

また、時行によって弧次郎に「コジロウ」という音の名前をつけたのは、「戦場では影武者として生きるしかない彼を、偽名でなく本名で応援できるから」、と見破られていますね。

 

信濃国の「諏訪小二郎金差頼秀」という説もある

弧次郎のモデル、元ネタとして、諏訪小二郎こと金刺頼秀の説もあります。

金刺頼秀は太平記で確認できる信濃国の人間であり、その活躍が記されているのですが……

金刺頼秀は中先代の乱で戦死しているのでまあ、違うんじゃないでしょうか。。

 

原作・関連書籍を電子書籍で探す

 

広告:Amazonのアソシエイトとして、アニツリーは適格販売により収入を得ています。
登場人物のやり取りを本でも読みたい方は、『逃げ上手の若君』の電子書籍をAmazonで探すからどうぞ。巻数や漫画・小説の違いを確認して選んでください。

 

 

【逃げ上手の若君】弧次郎のモデルや元ネタまとめ

 

以上、祢津弧次郎の元ネタ・モデルについての解説でした。

弧次郎=小次郎なら、影武者なんてワンクッション置かなくったって、ストレートに祢津小次郎が時行の仲間だよ、ということでいいような気もしますが……

弧次郎にしても、同じ時に時行の郎党になった亜矢子(望月の庶子)にしても、強い・若いに加え、次期当主としてのしがらみがないという点も郎党向きだったのかもしれませんね。

それぞれの家ではなく、時行のことだけ考えられるので。

 

しかし、そんな郎党も吹雪が離脱し弧次郎もまた小次郎ルートをたどるなら、時行と道を分かつことになるかもしれず。。

これからの展開に注目していきましょう!

 

★ピックアップ

→ その他の逃げ若の記事もすごく読まれています