ズートピアが伝えたいことは?何が言いたいのかメッセージ性から学ぶことは?

公開日: 2024年9月9日 | 最終更新日: 2024年9月14日

 

ディズニー映画では珍しく社会問題を正面から取り上げたズートピア。

この作品が世に出ることで、多くの人が改めて「差別」について考えるきっかけとなったと言っても過言ではありません。

今回は、ズートピアという作品が何を一番伝えたかったのかを考察していきたいと思います。

 

 

 

伝えたいことは「多様性」のあり方

 

この映画は、単に「差別はよくない!」ということを伝えているわけではありません。

最近よく使われている「多様性」という言葉を、もっともっと深堀りして考えてみる契機となる映画だと思います。

考察①

  • 肉食・キツネ×草食・ウサギという異色バディによる、心の闇の表現が秀逸

 

考察②

ズートピアという、種を超えた動物が集まる架空の都市=理想の「多様性」の具現化

 

以上の考察から、多様性について考えていきます。

 

肉食キツネ×草食ウサギという異色バディ

本作の主人公はウサギのジュディ。

言わずと知れた、草食動物の「可愛い」代表ともいえる動物です。

一方で、バディとなるキツネは肉食動物

鋭い牙を持ち、狡猾なイメージも持たれている動物です。

相対するイメージを持たれている2種によってストーリーは進行していきます。

 

ジュディは警察になるという夢を語った時から「ウサギに警察なんて無理」「ニンジン農家が関の山」と、両親から言われます。

その後、警察官になるという夢をかなえたあとでもトレーニング期間の上官にも「ニンジン」「ウサギちゃん」と、全くジュディを認めません。

ですが努力家のジュディ。

そんな偏見も意に介せず、体が大きくアドバンテージがあるほかの動物に負けまいと、人一倍の努力をすることで主席卒業を実現させます。

 

一方でキツネのニックは、正義感の強さからレンジャースカウトに入団をします。

そこで心無い草食動物たちに「肉食動物だから」「キツネだから」という理由だけで口枷をつけられ、いじめられてしまいます。

それ以降、ニックは自分自身を差別の対象と認識し、予防線を張ることでこれ以上傷つかないように過ごします。

ニックはジュディに会った時から、「ニンジン」と呼んでおり、明らかにからかっています。

ジュディという個を、少しも尊重していない態度をとっています。

 

一方のジュディは、過去キツネにひどいことをされた経験から、キツネ撃退スプレーを持ち歩いているものの、できる限り対等に接しています。

彼女は、姿かたちで判断されることが辛いことだと知っているから。

一見、差別的な視点のキツネと、差別をしないウサギに見えています。

 

しかし、記者会見でのジュディから「肉食動物はDNAに問題があるのかも」という失言が飛び出します。

無意識のうちに、ジュディは差別をしていたことが明らかになります。

ジュディはおそらくそれまでの人生で肉食動物と深くかかわってきた経験が乏しかったのではないでしょうか。

他の種をよく知らずに、影響力が強く出てしまう場で噂ベースの話をしてしまったのです。

 

これは、現代社会によくみられる現象なのではないでしょうか?

私たちも、人生で深くかかわってきたことがない他民族の方に対して、無意識のうちに差別をしてしまうことは少なからずあると思います。

メディアで「あの民族は…」という情報を得たり、SNSで「〇〇人がこんな悪いことをしていた」という記事に出くわしたり。

深く他の文化を知らないからこそ、目に入ってきた、耳に入ってきた情報を鵜吞みにしてしまいがちです。

こういった多様性を大事にするということは、そういった無知が故の差別を自覚し、他文化に対して尊重はすれども、浅い知識で批判をしないことなのではないでしょうか。

 

 

種を超えた動物が集まる架空の都市

ズートピアは「Zoo動物園」と「Utopia理想郷」という名の通り様々な動物が暮らす場所です。

いわば東京のような大都会。

肉食動物もいれば、ハムスターほどの小さな小さな草食動物も共存する、多様性の象徴のような都市が描かれています。

カバのサラリーマンが水の中を移動してきたあとに、地上で体を乾かす装置があったり、ハムスターが乗降する小さい扉が列車に取り付けられていたりと、街自体が多様な身体的特徴を尊重した作りとなっています。

 

街自体は多様性を具現化しています。

すべての動物に対して快適に過ごせるようにした究極のバリアフリーです。

象からネズミまで一か所に暮らす都市なので、必然的にそのような形になっているのでしょう。

妥協案にならずに、一種一種に特化した装置があるのはディズニーならではのユーモアだと思います。

 

一方で、象が営むアイスクリーム屋では「サービスを断ることもあります」と、特定の種には売らない方針を立てているという描写もあります。

事実、ニックはキツネであるという理由で売ってもらえません。

結果ジュディのおかげで無事ニックもアイスにありつけはしますが、明らかな差別を表に出しているのが、この象のアイスクリーム屋のシーンです。

 

理想の街の姿と、現実の動物の対応。

理想の多様性の形と、多様性とは結び付かない現実のコントラストが非常に強調されているように思えます。

「多様性」とはどういうことなのか、深く考えさせられる対比ですね。

 

メッセージ性は「ステレオタイプが引き起こす事件」

 

前述したとおり、ジュディは肉食動物と深くかかわってきた経緯がないからこそ、悪気がない言葉でニックを傷つけてしまったのです。

それ以外にも、「無知による差別」が表現されていると思います。

 

また、ステレオタイプによって起きた事件がこの「夜の遠吠え」事件でしょう。

ステレオタイプといえば、先入観や思い込みなどの固定観念によって多くの人の中で勘違いされていることです。

まさに、SNSが主流の現代社会で問題になっている事例でもありますよね。

これにより悲劇にも命を絶ってしまう人がいるということが大きな問題であり、今後ステレオタイプから引き起こされる事件をいかに防止するかが重要です。

 

 

市長によるベルウェザー副市長の扱い

ベルウェザー副市長とは、ズートピアの市長であるライオンハートに秘書のような形でこき使われている羊の副市長です。

かつ、本作の黒幕(ヴィラン)として描かれています。

ライオンハート市長は、草食動物を副市長においておいた方が自分の支持率がよくなるという理由からベルウェザーを副市長に就任させていました。

実際は、酷いあだ名で呼ばれ、雑務で忙殺をさせられる、まさにパワハラ職場に身を置いていたベルウェザー。

肉食動物を排除しようと、裏で恐怖政治を作り上げていたことがもはやかわいらしく思えるくらいの扱いの悪さでした。

 

さて、市長のライオンハートは彼女に対する認識は正しかったのでしょうか。

一般的に、羊は「平和の象徴」とされることが多いです。

また、作中の彼女は、ライオンハートによるいびりにもせかせか・・・・と対応をする姿が描写されています。

 

ライオンハートは、彼女のかわいらしい見た目、羊というイメージ、草食かつ小動物は自分に歯向かわないという固定観念から、彼女に対して「どう扱ってもいい」と思っていたのではないでしょうか。

実はすべての肉食動物を排除しようと、綿密な計画を立て、誰にも知られずに実行に移しているような野心家だったなんて、ライオンハートがステレオタイプで彼女を見ていなかったとしても気づけるポイントはないのかもしれませんが…。

 

ベルウェザーもステレオタイプに悩まされた人物

黒幕であるベルウェザー本人もステレオタイプが故に事件を実行に移そうとしたのではないのでしょうか。

実際に肉食動物のライオンハート市長にひどい扱いを受けていたという実績はありますが、肉食動物の中にはライオンハートのような非道な動物だけでもないと思うのです。

クロウハウザーのように、他人に害を与えない肉食動物もいれば、ニックのようにもともと兼ね備わった正義感がある肉食動物もいるはずです。

ベルウェザーは、自身がある単体から攻撃されたときに「肉食動物だからこんなひどいことをする」と、主語を広げてしまったのではないでしょうか。

悪いのは肉食動物ではなく、ライオンハート単体なのに。

 

私たちも現代に生きていて、容易にこういったことに遭遇していると思います。

ほかの文化を持つ人に対してだけではなく、年代や性別でもそういったネガティブなくくりで考えてしまうケースは大いに見受けられます。

男(女)って…」といったコメントや、「ゆとり世代はこれだから…」など、ある特定の人がダメだったことを、主語を広げて考えすぎです。

これはステレオタイプが原因となっている現象だと考えています。

 

 

【ズートピア】何を伝えたいのかメッセージ性まとめ

 

ズートピアは社会問題に対して真正面から切り込んだ作品であると言えます。

まとめ

・本当の意味での「多様性」という言葉をもっとしっかり考えるべき

・ステレオタイプから解放されるべし

 

SNSで容易に他者を批判できる現代だからこそ、改めて見るべき作品だと思います。

 

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