鬱漫画の金字塔として有名な作品『おやすみプンプン』。
ですが、ラストがよくわからないという意見は非常に多くあります。
なので今回は、ラストを考察していこうと思います↓↓
- ラストシーンの真意
- 最終回を迎えて作品が伝えたかったこと
目次
最後の意味は「ただ日常は過ぎていく」だと考察
#お前らの好きな最終回晒せ
「おやすみプンプン」主人公のプンプンにも愛子ちゃんにも1mmも共感できないんだけど、プンプンがきれいに死ぬこともできずに、なんだかんだ幸さんとか周りに愛されて、モヤモヤしながら生きていかざるを得ないラストは本当に良かった。生きるってそういうこと。 pic.twitter.com/nRqs1o4N5Z— NABEMON (@nabemon) November 26, 2020
幸と創作活動をしているプンプンの生活は、順風満帆そのものでした。
ところが、幸が出版社の編集担当にぼろくそに言われ、前旦那の子を妊娠し、仲良くしてくれていた不動産屋の社長が万引犯と間違えられ寝た切りに。
このあたりからは、再びダークサイドに堕ちていきます。
そして愛子ちゃんと再会してからは、話もクライマックスに向かっていきます。
冒頭の愛子ちゃんとの物語が、ここにつながってくるのです。
しかし、最後の最後はプンプンの小学生時代の友人である晴見くんの視点で語られます。
これだけ見ると意味不明となりますが、それまでの人生でプンプンは嬉しいこと悲しいこと色々と経験をしてきました。
バッドエンドのような展開となりましたが、最後はプンプンではなく晴見くん。
ここから、どんなことがあったとしても「ただただ日常は過ぎていくんだよ」という浅野先生からのメッセージだったのではないかと考えています。
理由① 最後がハルミンの視点
先ほども触れましたが、やっぱり理由としては「晴見で物語が終わる」というのが大きいです。
ハルミンこと晴見俊太郎というキャラクターは、小学生の時に転校をしてしまいます。
しかし、そのあとプンプンママの入院中にプンプンママと話す仲になります。
プンプンママとのシーンが終わったら、最後の最後まで全く登場しません。
ところが、プンプンと愛子ちゃんの逃避行が悲しい結末で幕を閉じた後に、登場するどころかハルミンの視点で急に最終話が描かれ始めます。
ハルミンは小学校の先生をしていて、高校の時に顔に大きな傷をつけてしまい絶望の淵に一緒に立った彼女と別れます。
そして、職場恋愛を経て結婚をしようとしていました。
プンプンと再会をしたときには、プンプンの名前を思い出せないまま会話を続けます。
なんとリアルなんでしょう。
ハルミンの半生は全く描かれていませんが、ハルミンもまた初めてできた彼女を、自分のせいで傷つけてしまった辛い経験の持ち主です。
プンプンほど壮絶ではないにしろ、つらい経験を送ってきたハルミンも日常を普通に「きっと、これが”普通”なんだろう」と生きています。
「誰かを殺さなくては」と、もやもやとした気持ちを抱えながらも、実際には一線を越えることなく生きていくハルミンの視点から描かれていくプンプンの物語。
愛子ちゃんの母親殺害という、一線を越えてしまったプンプンも人の目を通して見ると、なんてことない普通の人となるわけです。
理由② 最愛の愛子を亡くしても生き続けるプンプン
プンプンは、物語の大半を「自分の意志がなく、周りに流されるだけ」の人物として描かれています。
ですが、運命の女性である愛子ちゃんの母親を殺すことは、誰に流されたわけでもなく自らの決意です。
愛子ちゃんとの逃避行の間も自分の意志で、自分の力で行動を起こしています。
やっと生きる意味を見つけたプンプン。
愛子ちゃんを救えた時に、もう死んでもいいと思う程の満足感を得ました。
しかしながら、無情にも愛子ちゃんは自分が寝ている間に自らの命を絶ってしまいます。
愛子ちゃんに一目惚れしてから10年余り、愛子ちゃんと再び出会うためだけに生きてきました。
愛子ちゃんに殺されたかったと回想するほど、愛子ちゃんを人生の主軸においていました。
その愛子ちゃんを亡くしたプンプンは、思い出の廃工場で七夕の日に自殺をしようと試みます。
ところが、幸によって阻止されてしまうのです。
その後は警察に事情聴取を受け、ぽつりぽつりと自分の罪を自白していくのです。
(明確に文章でつづられていないため、想像の域を超えませんが)
前述したハルミンの主観シーンで、幸の子どもが4歳ほどの大きさになっているので、4~5年後の描写がラストシーンになるのでしょうか。
幸、三村夫妻、宍戸社長、蟹江姉、幸の子どもに囲まれて、幸せそうに過ごしているプンプン。
運命の女性に先立たれてしまい、悲痛な最期を遂げようとした主人公には到底見えません。
どんなドラマティックなことがあろうと、結局ドラマティックに死ぬことはできず、普通に生活を続けています。
どんなにつらいことがあっても、毎日「今日」はきますし、誰しも日常を生活している。
そんなメッセージが込められているように感じます。
理由③ 愛子ちゃんの声を忘れたプンプン
最後のハルミンのシーンは、4~5年後であろうと考察しています。
その直前、プンプンは初めてモノローグでの発言ではなく「吹き出しの発言」となっています。
七夕の直前に、夢の中で年を取らない愛子ちゃんに向かって言葉を綴るセンチメンタルなシーンです。
もちろん愛子ちゃんは、亡くなった日の白いワンピースを着ています。
「もしまた裏切ったら、今度は殺すから。」
「プンプンは嘘つかないよね?」
愛子ちゃんに投げかけられたインパクトのある言葉の数々は覚えていれども、愛子ちゃんの声を思い出すことができません。
そればかりか、プンプンは愛子ちゃんの顔を思い出せているのかも自信がありません。
「あなたがずっと私を忘れませんように」
どれだけ大切な人であっても、どれだけつらい経験をしても、ずっと解像度高く覚えていられることなんてありません。
「今」を生き続けている人は、大事な存在であっても少しずつ忘れてしまうものなのです。
「あなたがずっと私を忘れませんように」と七夕の短冊に記した愛子ちゃんに向けて、思い出せないことを伝えてしまうことは「プンプンが日常を普通に生きているから」とも取れます。
【おやすみプンプン】ラストの意味について考察まとめ
途中までしか読んでなかったおやすみプンプンやっと最終話まで見れた pic.twitter.com/5D6o4Tnmm0
— どんぐりまる (@DT_krkr) July 7, 2023
読者それぞれの解釈が持てる、幅のあるストーリーだからこそ最終話も様々な見え方ができるものです。
あり得ないキャラの中に、最後にとんでもないリアルを織り交ぜてくることで、結局どんなことがあっても日常に帰結するということが描かれているのではないでしょうか。
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