チ。最終回はひどいどんでん返し?パラレルワールドは本当?

公開日: 2024年11月19日 | 最終更新日: 2024年11月19日

 

チ。ー地球の運動についてー】の原作漫画は全8巻と大変コンパクトにまとまっています。

しかし、3章以降のEX章~最終回に対し、「意味がわからない」「どういうこと?」と批判の声もあります。

なので今回はそういったご意見を紹介しつつ、「チ。」の終盤の展開について解説していきますね! 

この記事を見て分かること
  • 「チ。」EX章~最終回についての内容
  • 読者のモヤモヤ感の正体
  • EX章で表現したかったものとは?

 

 

 

 

最終回に対する批判的な意見

 

いくつか意見をピックアップしてしてみましたが、「打ち切り感がある」「展開の意味がよくわからない」などのほか、「終盤のどんでん返し」についても賛否あるようですね。

「終わり良ければ総て良し」という言葉がありますが、逆に言うと、「終わりが良くなくては作品全体がイマイチに感じられる」ことも多いため、これは由々しき事態と言えます。

私は「チ。」を名作だと明言したい派なので、こういった方々が「イマイチ」に感じられた所以を確かめて、自分なりの「こういう意図あってのことじゃない?」という意見をぶつけていこうと思います!↓↓

 

理由① 最後のどんでん返し

 

読者が困惑してしまう理由その①として、3章の終盤の教会のシーンでアントニ司教が言ったことが「これまでの『チ。』」の否定になっている、と感じた方が多かったのではないかと推察します。

「人を異端と呼び、拷問し、殺すなら、その理由に正当性があるのか説明できるくらいは調べろ。
行動に責任を持て」

「(ラファウらの処刑は)全部 非公開処刑だろ。記録が残ってるかも怪しい。」

「君や、君が担当した”異端者”達、君らは歴史の登場人物じゃない

↑この言葉ですね。

 

これはいわば「『チ。』はフィクションであり、実在の人物や団体や事件とは一切関係がありません」という注意書きなのだと要約することもできます。

ここで、冷や水を浴びせられたように感じた人もいるのではないでしょうか。

「チ。」のキャラクターは実在の人物ではなく、我々は物語として彼らの死を消費しているということを突き付けられたわけですから。

 

そうだった、これはラファウの伝記ではなく、オグジーらの武勇伝でもなく、ドゥラカの回顧録でもなく、あくまで「地動説」をテーマに15世紀の人々の群像劇を描いた創作物フィクションだった……と、改めて思い出させられたわけですね。

そんなの、これまでの作中出来事を否定されたような不快感が湧き上がってもおかしくありません。

で、この感情を深堀りしていくと、「これまで単行本にして8冊もの間、地動説のために命を奪われた『異端』たちの生きざまをこの目で見てきてすっかり感情移入している今、どうして、わざわざメタ的な言葉をキャラクターに言わせたのだろう?」という違和感になります。

 

その違和感は、「もしや作者が物語を締めるにあたって、作中人物の口を使って安易なデウス・エクス・マキナをしてきたのか」と不信感につながり、読後感の悪さにつながるのではないでしょうか。

デウス・エクス・マキナとは・・古くは物語の収拾がつかなくなった際、「見かねた神様が全部いい感じになんとかしてくれました!」とするオチ。

 

脈絡や整合性などを無視し強制的に物語を終わらせる装置のこと。

夢オチ、爆発オチなどが該当する場合も。

 

しかし、あの言葉が単なるデウス・エクス・マキナではない、と考えたらどうでしょう?

個人的には、アントニ司教のあの言葉は、「作者が『チ。』はフィクションであり、実在の人物や事件とは一切関係がないとくぎを刺してきたから」……ではなくて、

逆に、「作者が『チ。』という作品を史実に接続しようとしているから」描かれたものだと感じました。

なぜなら、このセリフの直後にEX章がはじまり、そのEX章で、アルベルト・ブルゼフスキという史実の人物が描かれるからです。

 

そして、アルベルトを描くにあたって「チ。」1~3章の出来事が必要だったから、です。

つまり、あのアントニ司教の台詞は、読者を不快感にさせるためのものでは決してなく……むしろこれまでの「チ。」の展開を無駄にしないための布石、だったのではないでしょうか。

 

 

理由② アルベルトという「史実」の人間とその他

EX章のアルベルトについてもう少し補足します。

アルベルトとは?

  1. 「チ。」EX章の主人公で、過去にトラウマを持ち「好奇心など馬鹿らしい」と考えている青年
  2. パン屋の配達で訪れた教会の告解室でトラウマと向き合い、大学進学を決意した
  3. 街を歩いているときに聞こえてきた「地球の運動について」の言葉に「?」と疑問符を浮かべる
  4. のちにコペルニクスに影響を及ぼす史実の人間だが、23歳以前の史料はない

 

あるいはこのアルベルトの存在も、「チ。」の「打ち切り感」を強めたと感じた方もいるかもしれません。

これまで「チ。」の登場人物たちに感情移入してきた読者としては、ぽっと出のアルベルトが最終的に全部掻っ攫っていった……と感じてしまってもおかしくないからです。

 

また、アルベルトが主人公のEX章は、作中舞台が「1468年 ポーランド王国」と、具体的な年代・地名になります。
これまで「15世紀 P国」とされていたのに急に、です。

このせいで、EX章では1~3章までの展開が「史実のパラレルワールド」化してしまったあるいは矮小化し、存在しないものになってしまったというような気になってしまうのではないでしょうか?

これまで積み上げてきたものがなかったことになり、最後だけこれまでの流れとは毛色の違う、チグハグなものが描かれる……というのは、打ち切りあるあるですね。

 

ですが、そんなことはないのです。

決して、1章2章3章の存在がなかったことになったわけではないのです。

だって、EX章には2章で登場した新人異端審問官と思しき人物や、3章で取り沙汰された本「地球の運動について」など、これまでの「チ。」で描かれてきた要素が出てきて、それらこそがアルベルトのトラウマを払拭したのだと描かれているでしょう。

「好奇心」をくだらないものだとして、必死に見ないようにしていたアルベルト。

 

でも「チ。」がこれまで描いてきた1~3章全歴史が、そんなアルベルトの背を押したのです。

だからアルベルトは自身の「好奇心」を受け入れ、大学進学を決意し、ゆくゆくはコペルニクスの師匠となるんです。

この「継承」に関しては、月の下のラファウ、夜空を見つめるオグジー、朝日に包まれたドゥラカのシーンに続き、昼の空を見るアルベルトのページが象徴的ですね。

我々の知る「歴史の登場人物」ではなく「無名の15世紀の人々」にすぎないラファウたちが、物語の中で生まれたキャラクターたちが、それでも物語だけで存在を消費されないように、アルベルトという歴史の人物と接続する。

――それこそ、作者のキャラクターたちに対する愛であり、ここまで作品を読んできた読者への誠意のように、私には感じられました。

 

理由③ 8巻の存在(3章+EX)

続いての理由は、3章とEX章を一冊に収録する必要があったか?というもの。

おそらく8巻いっぱいを3章に費やし、9巻でEX章をやって完結していたら、一部読者の言う「打ち切り感」というものは出なかったのではないか、と個人的には思います。

いや、3章はノヴァクの死とドゥラカの朝日のシーンでこれ以上なく美しく締められているわけなので、ページ数を考慮するとあれ以上いったい何を描くねん……?と、個人的にはなってしまうんですが。

EX章にしても、「好奇心」を忌まわしく感じていたアルベルトが再び「好奇心」を持てるようになり、「?」と考えられるようになって終わるという、これ以上ない締め方だったわけで。。。

 

まあでも、作品の美しさと読者の気持ちは、時に乖離を起こすのも事実。

「ここで終わったら綺麗だよ、綺麗だけど、もっと描かなきゃいけないこともあったろ!?」

と感じる読者がいても、それはそれでむべなるかな、です。

 

ですが、やっぱり1章2章3章、そしてEX章を対等に描くにあたっては、やはり全8巻という冊数が「チ。」としてはベストだったのではないだろうか、と思うのですよね。

8って、太陽系の惑星の数と同じなので。

EX章が9巻になだれ込んでしまうと、準惑星となり、EX章がほかの章より扱いが軽くなってしまうのでは、ということを作者が危惧した可能性も、なくはないのではないでしょうか。

 

再三言っているように、EX章はこれまでの「チ。」と史実をつなぐ非常に重大な章なので、絶対にそんな扱いになってはいけないんですよね。

多少の「打ち切り感」を一部読者に感じさせてでも、それを理解していてもなお、「チ。」は8冊に納めないといけなかったのかもしれません。

 

……と、ここまで書いていて、なんと作者ご本人のtweetを発見してしまいました。

やっぱり8巻で終わらせたかったそうです……!!

アニ木
アニ木
「チ。」の舞台である15世紀ヨーロッパで発見されていた惑星は土星までの6つで、天王星と海王星はまだ発見されていなかったらしいんだけどね

 

 

パラレルワールド説は正解であり不正解

 

上記と、しつこいくらいEX章でアルベルト(史実)と「チ。」が接続されたと言ってきましたが、それを前提に、続いてはそもそもEX章は「チ。」の1~3章のパラレルワールドなのか?について考察していきます。

結論から言うと、「多分そう」と思われます。

絶対にパラレルワールドだ。と断定していない理由も含め、以下でその根拠をご確認ください↓↓

 

 

理由① 「正史」では弾圧は無かった

1章~3章では、ノヴァクら異端審問官により、「地動説」の研究者を異端と弾圧・拷問するさまが描かれてきました。

しかしそれが一転、上項↑でも紹介した、アントニ司教による「どんでん返し」が行われました。

「と、いうのも”地動説”なんてものはただ単に一つの仮説にすぎないからだ。
唯一の真理と主張するのは危ういかもしれんが
単純に数学的仮定としての発想だ。
一体 それになんの問題がある?」

「もしそうだとしたらこの騒動は、C教世界や人々の信仰を守る聖戦などではなく、
一部の人間が起こした、
ただの勘違い、
だったというわけだ」

 

つまり地動説は異端思想じゃないと。

私欲でヨレンタさんを拷問したお前が言うなや!という恨み節は置いといて、この言葉にはノヴァクだけじゃなく、我々もびっくりでしたね。

「チ。」で描かれているような地動説提唱者に対しての弾圧は、「正史」では起きていなかった、という一部読者の意見も日の目を見ました。

 

なので、1~3章とは違い、EX章は「異端」研究は拷問の対象ではないのです。

実際、EX章では地動説と思しき「説」に対し、「弾圧の危険なんて”政治”次第でいくらでも避けられる。」という強かなセリフも出てきます。

このセリフは、地動説を目の敵にするノヴァクのような異端審問官がいる世界線では、絶対に出ないでしょうね。

 

しかし、だからといって即、EX章はパラレルワールドだと判断するのも早計です。

単純に、あの教会で「真実」を知った3人全員が息絶えたことによって、後年では弾圧の記録がなかったことになっているだけ、ともとれるからです。

1~3章に対してEX章は別の世界線なのか、それとも地続きの世界線なのか、ここだけでは判断できません。

 

理由② ラファウ先生の存在

続いては、EX章が1~3章のパラレルワールドである、という仮定に対し、絶対的な根拠を紹介します。

パラレルワールドの根拠であり、また、読者が「チ。」終盤の展開に困惑している理由その④にして、なんなら最大の理由

それこそ、アルベルトの回想で現れたラファウ先生の存在ではないしょうか?

アニ木
アニ木
初見で見たとき、マジでビックリしたよね……

このラファウ先生に関しても、こいつマジで何!?という混乱から、「過去キャラの再利用」→「突然のパラレルワールド?になる展開」→「打ち切り感」を強めているのはないかと推察できますが、いかがでしょうか?

 

しかし、このラファウ先生は、本当に単なる「過去キャラの再利用」なのでしょうか?

我々の知るラファウは、1章で服毒自殺したうえに遺体も火にかけられ、燃え尽きています。

仮に毒が自己申告のもの、つまり嘘だった場合や、うっかり致死量に足りなかった場合は生き延びた可能性もあったでしょうが、、、
その後ラファウの体は磔刑ののち火にかけられ、燃え尽きているので、さすがにここから生き残るルートはないでしょう。漫画のジャンルが変わっちゃうし。

 

なので、ラファウと「ラファウ先生」が同一人物なはずがなく、かといって単なる同名の別人というには、あまりにも二者は容姿や境遇や性格が似通っています

良心がおらず、学者(ポトツキ?)に育てられ、しかし寂しさはあって夜空を見上げ、天文を学ぶラファウ……
好奇心の為なら自分が死ぬことも、誰かを殺すことも厭わないラファウ。

まあ、、、言動だけならほぼ同一の存在と言えるでしょう。

 

逆に、どこが違うのかは下記にまとめてみました。

ラファウと「ラファウ先生」の差異

  1. 年齢
    →ラファウが12歳の少年であることに対し、20代くらいの青年に見えるラファウ先生
    →もしラファウなら、仮に処刑を生き残ったとしても、アルベルトとの邂逅時にはもっと老けてないとおかしい
     
  2. 木製のネックレスの有無
    →ラファウがフベルトから受け継いだネックレスを、ラファウ先生はつけていない
    ラファウ先生はフベルトと出会っていない?
     
  3. タウマゼインなどの言葉や「会合」などのコミュニティへのコネ
    →大人になるにつれ獲得した語彙や関係?
    →ポトツキの影響ではなく、ラファウ先生が自身で培ったもの? 

 

中でも重要なのは、②のラファウ先生はネックレスをつけていない点、です。

1巻のラファウは、養父のポトツキが計算式を修正した(=他者にラファウの「異端」研究がバレた)ことによって、おそらくは保険の為にでしょうが、「手紙」とともに木製の球のついたネックレスを「石箱」に隠しています

しかしそれは、ラファウ先生には必要のない行為のはず。

 

何故なら、(1~3章の未来なのかパラレルワールドなのかはわからないけど)EX章ではおそらく、「地動説は弾圧されていない」ため、ノヴァクのような「地動説」提唱者を死に追いやる異端審問官はいないはずだからです。

ここから、このラファウ先生は「フベルトやフベルトの資料を知らずに、独学で地動説の可能性に行きつき、研究しようとしているIFのラファウ」の可能性があります。

でも! だからといって、だからパラレルワールドなんだなと判断するのも、まだ早いんです。

なにせ3章で、木製の球のネックレスはノヴァクとともに教会で燃え尽きているのですから。

 

3章で燃え尽きたから、木製の球のネックレスをつける人はもう二度と現れなかっただけ……という可能性もあります。

ラファウ先生の正体? ラファウと見た目も境遇も言動も似てるだけのただの別人だよ? ということも、ありえるわけです。

パラレルワールドか、そうでないのか。ラファウ先生の存在は、どう考えてもパラレルワールドを示唆しているんですが、3章までの動きとの矛盾もないんですよね……。

 

理由③ 読者にも「?」を

EX章は1~3章とは地続きなのか? パラレルワールドなのか?と揺れていますが、たぶんこれ、正解はありません

作者が口を閉ざしている限り、読者は「パラレルワールドだ」「いや単に3章の後の話だ」という論争を繰り広げることになると思います。

読み返せば読み返すほどに、なんというか、そういう、作者の物語への執念を感じました。

  • 「P国」から「ポーランド王国」に表記が変更されたこと
  • アルベルト・ブルゼフスキという初の苗字付きキャラクターにして史実の人間が描かれたこと
  • 大っぴらに開かれている”真理の自由な探究”の会
  • ラファウ先生の存在……

↑これらの要素から私は、「多分、パラレルワールドかなあ」と判断しましたが、これまで述べてきたとおり、その結論にも決定的な根拠はありません。

 

  • 告解室の神父
  • 「ポトツキに利益の一割を」
  • 実物が同封されていない「地球の運動について」

↑これらを鑑みると、3章と地続きの物語としても、違和感がないように丹念に作られているからです。

 

そう考えると「チ。」はすごく実験的な、しかし完成度の高い物語になったと言えるのではないでしょうか。

EX章で「チ。」を史実に接続しつつも、そのEX章の価値をどう据えるかによって、つまり読者の「?」の数だけ人によって読後感が変わってくるのですから。

僕らは足りない。だから補い合える。
そうじゃなきゃこの世界には挑めない。

疑いながら進んで。信じながら戻って。
美しさに、煌きに、逼り詰めてみせます。

↑このアルベルトの台詞も、そう考えるとなんだか示唆的です。

 

アルベルトを通して「考え続ける」ことを肯定した読者にすら、考えることを求めるつくりになっているんですよね。

第四の壁を超え、読者にまで「?」と思わせる作者の手腕、脱帽です……。

 

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【チ。地球の運動について】 最終回がひどいと言われる理由まとめ

 

まとめ
  • 「打ち切り感」「駆け足気味」に感じる読者がいるのは作者が全8巻(惑星と同じ数)にしたかったから?
  • ラファウ先生はパラレルワールドのラファウかもしれないし、他人の空似かもしれないという描き方
  • 読者にも「?」と思わせることを狙った作劇

 

以上、「チ。」の最終回がひどいと言われている理由のまとめでした!

長年「パラレルワールドやな」と思っていたのですが、何度も読み返しているうちに「あれ? パラレルワールドじゃない……のかも……?」と思わせられるようになってきた、読めば読むほど味のする作品、それが「チ。」です。

これを描いた当時、作者の魚豊さんはまだ20代前半だったはずなのですが、どんな脳みそをしているんでしょうね……

当記事をここまで読んでくださったあなたのご感想も、ぜひコメント欄にお寄せ下さいね♪

 

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