ある男-映画は意味不明でよくわからない?どゆことで何が言いたいのか考察

公開日: 2024年3月30日 | 最終更新日: 2024年5月14日

 

原作付き映画でも、尺の都合、スポンサーの意向、その他いろんな理由で、原作と映画では異なる箇所がありますよね。

セリフやシーンをカットされたり、キャラクターの掘り下げをアレンジされたり、逆に全然違うエピソードが挿入されたり。。。

仕方のないことですが、どうしても映画だけではわからないところも出てきます。

今回は、それを踏まえて映画【ある男】の謎について解説していきます↓↓

この記事を読んでわかること
  • 映画『ある男』の難解だったシーン
  • リドルストーリーとは
  • 小説から見る映画の謎解き

 

 

 

 

映画は意味不明でよくわからない?

 

映画【ある男】は、第46回日本アカデミー賞の最優秀作品賞など、多くの賞を受賞した作品です。

ですが……

映画を観た方のなかには、「なんじゃこの作品?」「あのシーンはどういう意味だったの?」と視聴後ももやもやしてしまったひともいるのではないでしょうか?

ここからはそんな方に向け、どういうところが難しかったか」に対して、映画+原作小説をもとに作品の解説をしていこうと思います↓↓

 

「意味不明」「わからない」という視聴者の意見

SNSで映画『ある男』の感想を検索したところ、「よくわからない」「意味不明」という意見がありました。

私自身、映画だけでは「?」なところがあり、原作小説を読むことで「これを下敷きにしてるのか」とはじめてわかったことも多かったです。

だから、その気持ちわかるなあ……と思いながらスクロールしちゃいましたが、、、笑

せっかくなので、どういうところがわからなかったのかに着目して、大きく2つに分類してみました!

 

情報が多く混乱した、のご意見↓↓

 

 

 

 

 

と、「情報の多さで混乱」「何を伝えたかったのかがわからない」という感じですね。

作品の題材上仕方のないことですが、登場人物や個人名が多いため、映画館で集中して観るならともかく、家事の合間になど流し見していたら確実に混乱すると思います笑

ヘイトスピーチや在日のくだりは、主人公である城戸のルーツや、彼が「X」探しにのめり込むことにも関係しているので映画内でも必要な描写だったのではないかと思いますが、それがわからないくらい作品全体に惹かれなかった人の意見、ともとれますね。

一方で……

 

②「ラストシーンはどういう意味?」のご意見↓↓

 

 

 

 

 

こちらは「作品全体はとても楽しめたけれど、ラストシーンの意味を考えあぐねている」という意見。

どちらかというと映画鑑賞時、私もこっちでした。

以下でもう少し細かく、映画『ある男』に対する疑問点とその解説をしていきます!

 

 

考察① ラストシーンで最後の終わり方が意味不明

バーで「谷口(誠)の経歴」をさも自分のものかのように語る城戸、というラストシーン。

やはりこのシーンが最も、視聴者の疑問の多くを占めているのではないでしょうか。

城戸も戸籍を交換したの?」「それとも、ただそうなりすましているだけ?」と、読者の想像に委ねるかのようなラスト。

 

リドルストーリーの醍醐味をぶっ壊してしまうようで恐縮ですが、一応、言っておきます。

映画と原作は別物、という前提はありますが、原作では、これは「なりすましているだけ」です

その説明の前に、ちょっと補足します↓↓

ラストシーンの前提

城戸について

  1. 横浜在住の在日三世
  2. 3.11を横浜で経験した直後、かつて関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことを受け、はじめて、自分のルーツを意識するように(※映画では省かれた描写)
  3. ↑そのことから、妻・香織となんとなく不和になり、それを敏感に感じ取っている息子・颯太も不安定に

「X」探しをする過程で、他人の人生を知ることによって、自分の人生を見つめなおしていた

 

と、このように、城戸もまた、殺人犯(死刑囚)の息子だった「X」=誠と同じく、自身ではどうすることもできない経歴を持っていたのです。

そしてこれもまた映画ではカットされた部分ですが、「X」探しをするうえで、城戸は初めて入ったバーで「他人の人生を自分のものとしてふるまうこと」を楽しむ描写があります

 

しかし、ここでポイントなのは戸籍を交換しなければならないほど、城戸は自分の人生に愛着がないわけではないことです。

むしろ、自分の人生を大切にするために、他人の人生を口にしている、というほうが近いんですね。

自分を知るために、物語を見て・読んで誰かの人生に触れる……というのは、誰しも経験したことがあるのではないでしょうか?

城戸はその物語を、本やそれこそ映画ではなく、他人の人生に求めたんですね。

 

ちなみにこのラストシーン、小説では「序」、つまり作品冒頭で描かれています

そこでははっきり、「今話した経歴は嘘だ、別人の人生を演じていた」と城戸は発言しているんですね。

小説では「なぜ城戸が他人の人生を演じたか」、それを説明するために本文があるともいえるような内容になっていて、それこそ、本作の主人公が「X」ではなく、理枝ではなく、城戸である所以だと思います。

 

考察② 抽象的な描写ばかりで答えがよくわからない

すべての物語は、多かれ少なかれ、内容を読者の想像に委ねるところがあります。

全部を言葉で説明されたら、押しつけがましいと感じられてしまいますからね。

特に映像作品は、動き、音、背景などを使って、比喩的にキャラクターの心情を描写することが多い気がしませんか。

こういう描写はある程度の数の映画を観て、視聴者が各自で読み取る力を培わなければならないんですよね。

 

だから、人によっては「あのシーン、結局言葉にされてなかったけどどういう意味?」となってしまうところもあったのではないでしょうか?

そして『ある男』の場合、原作からして難しいテーマを扱っているため、話している内容も「???」となることもあるかも。。。

横浜刑務所にいた小見浦(柄本昭さん)とか、「マジで何言ってんだよこいつ……」ってなりませんでした? 

柄本さんの怪演もあいまって、本当に謎の人物と化していました。

なお、この小見浦は映画より情報量が多い小説でも底知れない人物です。

 

 

考察③ 谷口大祐 (本物)の人物像が謎

谷口大祐(本物)、誠との戸籍交換後の姿も原作小説ではちゃんと書かれているんですが、映画ではかなり省かれていましたね。

裕福な生まれでありながら、家族との不和から戸籍を交換することを選んだ谷口……彼(の経歴)がなければ、誠は理枝と結婚することができたでしょうか。

そう考えると、なかなかの重要人物です。

 

ちなみに小説によると、谷口(本物)は、谷口大祐の経歴を得た誠のように、戸籍の交換後、幸せな人生をたどっている、わけではありません

谷口大祐は、今、「曽根崎」という人物として生きています。

戸籍ブレーカーに委ねるほどですから、みんなある程度経歴を倦んでいるわけですが、この曽根崎という戸籍は、「ヤクザの子供」のものだったんですね。

 

谷口のかつての恋人・美涼にとって「愛すべき小心者」だった谷口は戸籍を交換し、「ヤクザの子供」という経歴を得たことで周囲に、おそらくはずっと苦手だっただろう兄・恭一とそっくりの、高圧的で傲慢なふるまいをするようになったようです。

彼は彼でいくらでも掘り下げられたでしょうが、作中での「X」の正体探し、そして城戸の変化を描写するにあたって、尺が足りなかったんでしょうね……。

ちなみに本物谷口、俳優さんが仲野太賀さんということで、SNSでは「あの使い方はもったいなくない!?」というご意見もチラホラありました。笑

 

考察④ 登場人物の名前が覚えにくい

登場人物、多いですね。笑 

特に戸籍交換のくだり、たくさん名前が出て混乱すると思います。

ヒューマンドラマを描く上では仕方のないことですが、2時間という時間の中にあれだけの情報量が詰めこまれれば、映画に慣れていないとなかなか、誰が誰だかわからなくなるかもしれませんね。

「さっき見た顔だけど、なんて名前だっけ?」「この2人が言ってる××って、誰のことだったかな?」 など……。

時系列もかなり飛びますしね。冒頭は理枝と谷口(誠)の出会いでしたが、このとき幼かった理枝の息子・悠人が次のシーンでは中学生になっていたり……。

もちろんシーンの移り変わりでちゃんと「〇年後」とテロップが出たり、俳優さんたちの演技で伝わることも多いのですが、ボーっと眺めてても全部理解することのできるような、単純な映画ではなかったですね。

 

 

どゆことで何が言いたいのか?

 

『ある男』は原作にしろ映画にしろ、もう難しい点ばっかりです。笑

扱ってるテーマからして難しいので、ある程度は仕方ないのかもしれませんが、読み手の感情をざらざら撫でつけてくるような、「きみはどうする?」と問いかけるような、生半可な気持ちで観ることを許さないような作品でした。

何故、原作小説の作者である平野啓一郎さんはこの話を書いたのでしょうか?

彼の思想の根幹をもとに、解説していきます!

 

考察① アイデンティティの置き場所 (分人主義)

平野啓一郎さんは「分人主義」を掲げる作家です。

平野さんは、「個人」に対する新しい人間のあり方として「分人」を提唱しているのですが。。。。

この分人主義とはなんでしょうか?

「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。

これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。

中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。

この考え方を「分人主義」と呼びます。

同じ「一人でいるとき」でも、旅先で温泉に浸かっている自分と、仕事帰りに電車を逃して次の電車を待っているときの自分では、その性格や思考が違ってくるはずです。

「分人」とは対人関係に限らず、モノや場所、環境に対しても形成されるため、「一人でいるときの自分」も決して一つではありません。

 

出典:分人主義

参考URL:https://dividualism.k-hirano.com/

 

平野さんの公式HPより引用すると、こういうことだそうです。

いや、わかるような、わからんような。。と思われた方もいるかもしれません。

ものすごくかいつまんで言うと、「家(親、兄弟)」「学校(友達、先生)」「SNS(尊敬するフォロイー、FF外の他人)」「職場(上司、部下)」「過去の自分」などに対し、態度や接し方、そのときの気持ちは同じじゃないよね、ということではないでしょうか?

 

でも、「親と友達と他人」に対する「自分」、そのどれもが、「偽物」じゃなくて「自分」じゃないか?と、平野さんは言っている……と、私は解釈したんですが、どうでしょう??笑

「あんたって○○な人間だよね」と親に言われたときに、「別にそんなことないし」と思ったり、

「あんたって××な人間だね」と友達に言われたときに、「それだけじゃないけどな」と思ったり、

「あんたって▲▲な人間だ!」とSNSのFF外失礼野郎に言われたときに、「あんたが私の何を知ってる?」と思う。

 

こういう気持ちというか。

分人主義とは、人をカテゴライズして、決めつけて、わかったつもりになっているひとに対する、強烈なカウンターであり、新たな自己愛の形なのではないでしょうか。

──そして、それは『ある男』という作品を観た人には、少し心当たりのあるのでは?

 

例えば、城戸。

「在日」であり、「弁護士」であり、「夫」「父」「エリート」「中年男性」である城戸は、そのどれもが彼を象徴するカテゴリーであるけれど、どれかひとつではない。

すべてが複合するからこそ、城戸という人物である、と言えるのではないでしょうか?

原作小説で、城戸が「誰か物好きな人が、僕を主人公にした小説を書いてくれるとして、そのタイトルが、『ある在日三世の物語』だなんていうのは最悪ですよ。『ある弁護士の物語』でも嫌ですけど。」という、分人主義を象徴するようなシーンがあります。

 

だからこそこの作品のタイトルは『ある男』なんだ、と個人的に腑に落ちたシーンでした。

平野さんが分人主義を提唱するからこそ、この作品は生まれたのではないでしょうか。

 

考察② 過去を消したい人が多くいるという事実

黒歴史、という言葉がありますね。

夜に不意に思い出して、死にたくなるような記憶。度し難い昔の自分の言動や、置かれた環境。

死にたい!と思うくらいならまだマシなのかもしれません。

そういうのが降り積もって「死ぬしかない」「生きていてはいけない」、までいったのが、おそらくは「X」こと原誠なのでした。

 

だからといって別人と戸籍を交換し「別人として生きる」まで追いつめられる人は、そこまで多くはないと信じたいですが、それでも、「今のしがらみを全部捨てて、別人になれたらなあ」という気持ちは、理解できる人は多いのではないでしょうか。

心理学者のマズロー曰く、生きる上で社会とのつながりは欲求として存在するそうですが、つながりがしがらみになったら、逃げたくもなりますよね。

その気持ちはおそらく、人間が社会を形成してから今日まで普遍的な感情として存在し、だからこそ、平野さんはそんな感情を持つ人間を描こうとし、またこの『ある男』という作品が、世界でも評価されたのではないでしょうか。

 

考察③ 人間賛歌

これは私がジョジョの奇妙な冒険を愛好するジョジョラーだからかもしれませんが、この作品からは「人間を賛歌する」文脈を感じました。

人間賛歌とは、「人間を善悪で区別することなくその人生を讃えること」です。

たとえば、映画では省略されまくってた本物の「谷口大祐」、めちゃくちゃ情けない男なんですよ、原作では。

家族と不仲で、でも父親が臓器移植を必要とするようになって、適合するのは自分だけで、でも踏み切れなくて、結局、恨まれながら父親は死ぬ。

かつての恋人である美涼に何一つ告げないまま、蒸発するみたいに戸籍交換しておいて、未練があって、「X」と理枝の幸せな結婚生活を城戸から聞いたときには、「交換しなけりゃよかった」なんて言う。

 

谷口家にものすごい忌避感と負い目があるかと思えば、「谷口大祐の戸籍は人気だったんですよ」とか自慢げに語る。

なっさけないでしょ?

映画でカットしたのも、むべなるかなって感じです。アクが強くって、「主人公・城戸」の物語の邪魔ですらあります。

でも別に、この男になにか、罰とかがあるわけじゃないんですよ。

戸籍を交換しても別に幸せそうではないですが、それは「谷口」の生き方によるもので、特別な不幸があるわけじゃない。特別な幸せもない。

 

ただ、「そういう人間」として生きた結果があるだけ

その兄である恭一も、傲慢で陰険で差別にまみれた人間味が、城戸たちの視線から非常に不快な男ですけど、何か代償があるわけじゃない。

恭一は美涼とは付き合えなかったけど、それは恭一の行動の結果であって、罰でも何でもない。

「X」が「谷口大祐」になって、理枝と出会ってから事故で亡くなるまで幸せな毎日を送れたのは、過去を捨て去ったことでようやく、「X」が理枝と悠人を愛することを自らに許すことができ、真面目に生きたたから。

過度に人間を美化するのではなく、かといって卑下するのでもなく、悪が善になるでも、善が悪になるでもなく、あるがままに描写するというのは、意外と難しいことだと思うんですよね。

名前という記号を外し、経歴という証明を交換して、そのうえで「どういう人間として生きるか」、そこに作者からの人間への信頼を感じました。

 

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【ある男】作品の不明点や伝えたいことまとめ

 

まとめ
  • ラストシーンは映画だけだとわかりにくいが、「演じている」だけ
  • 作品には作者の「分人主義」が根底にある
  • 名前と経歴を変更しても、幸不幸はその後の自分の努力次第

 

以上、映画『ある男』の「不明点」と「伝えたいこと」の考察でした!

分人主義を、自分なりに噛み砕いてみましたが、いやその解釈は平野さんのものと違うよ、などご指摘があったら、ぜひコメント欄にお寄せください。

 

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